藤井寺の家、終盤を迎えました。
去年竣工した親世帯の家づくりの際にメインアプローチである、北側の庭リフォームさせて頂いたきました。
ちょっと庭工事を振り返ってみることにします。
はじめてお施主さんの住まいにお伺いした時は、北アプローチはうす暗くじめじめしていて、歩くことさえ困難なくらい木が生い茂っていました。
正直この庭を触るのは困難で、庭師さんと悩みました。
お施主さんの意向を踏まえた上で、庭師さんと話をして、扱いにくい木と今後成長しない木は思い切って処分しようという決断になりました。
すごく、難しい決断で面影を残すには切り過ぎるのもよくないし、庭師さんとしても今ある木を処分するのは苦しいことです。
でも、手入れをしていくお施主さんと鑑賞する側とは違うのです。
木を好きでいてくれるためにも手入れをしやすいことを優先し決断をしました。
私たちだけでなく、先代が植えた木を処分する罪悪感と処分にも費用がかかるお施主さんの決断は苦悩なことだったと思います。
解体をした時は、正直、取り除き過ぎて、面影がなくなってしまったのではないかという不安と寂しさがありました。
庭工事が進んでいくにつれて、その喪失感は薄れていきました。
さすが庭師さんです。
前の面影は残ってましたし、その上で今の時代にあった手入れのしやすい庭に変身しました。
劇的によくなったのは当初の一番の悩みの水刷けの悪さと薄暗さ。
灯籠や石は残してくれていて、一個一個丁寧に向きを気にしながら置いてくれたのを覚えています。お婆さまの手作りの灯籠も片隅に入り、しっかり前の庭を継承した庭になったと思います。
ホントに劇的に変わりました。ぱっと明るい気持ちのよいアプローチになりました。
薄暗い庭を見てますので、私たちはほんとに感銘深い庭です。
いよいよ1年経過して、庭工事の最終章となる親世帯と子世帯の中庭工事に着手しました。
親世帯と子世帯をつなぐ大事な中庭。
家族みんなで、バーベキューしたり、また家族の自転車でも通れる道であったり集える庭になります。
その中でもメインとなるのは大きな石。
この石は以前に建っていた先代の家の沓脱石と使われたもので、かなりでかいんです。
今の時代ではこんな大きい石は手間がかかるのであまり使われないかもしれません。
先代の家を解体し、親世帯の平屋の家を建てる際に石を敷地の端へ移動し、子世帯の家を建てる際にまた移動し、今またキレイに見えるように石を据え直してくれました。
簡単に動かせる大きさでもないので、いろんな職人さんが手間暇かけてくれたのですが・・・
手間暇かける意味は十二分にあり、何物にも代えがたい存在なのかなと思います。
こうして中庭に据わることが必然であったのだと思います。
口にはださないのだが、こういったことを踏まえて見せ場として大事に使ってくれる庭師さんのお庭がとても楽しみです。
家づくりというのはただ建てるという行為だけでなく、その家族の思い出も繋げていく意味の深いストーリーがあるなと思います。
その家族のソフトなものも大事にしながら家づくりに参加できることにとてもありがたく感じます。
今は無邪気に遊んでるお子様も将来この石の存在を感じ、どんなにめんどくさくても、今回のように家の片隅でもいいので移動して使ってくれたらうれしいなと思います。