今週末お施主さんと構造材の杉、桧を見に三重県熊野まで行ってきます。
どんな山で育って、どのような過程で家に使う木になったかを見てもらいたいと思っています。
おそらく、ほとんどの家づくりが上棟の際にトラックで運ばれ、レッカーで吊られてるところが、初めて木と対面する時になると思うのですが、
そうなると木から山は想像できないと思うのです。(これ何度もいってますが・・・)
なんともったいない。
木はどれ一つとして同じものはなく、60~70年の時を越えて、偶然に自分たちの家にやってくる。
なんとも神秘的なことなんだろうと思ったりするんですが。
わたしだけでしょうか・・・
おそらく、木は構造上問題のない範囲で動きそして音もなります。
(その地の平衡含水率と構造材の含水率の違いで 詳しくはコチラ)
また、杉の場合だと、赤と白がはっきりしてるので、フローリングや天井に張った際に違いが目立ちます。
それをどう感じるか。
それを木なんだから当然と思えるのか、目が揃って欲しいと建材として見てしまうのか。
木の表面に割れが出た時に
それをどう感じるか。
木の繊維が動いたと感じるのか、欠陥品としてとらえるのか
木の節を見て
枝を想像するのか、ただの黒い丸と感じるのか
すべては山に答えがあるような気がするのです。
また、
木の家を建てることによって環境貢献は大きいのです。
木は鉄などと比べると製造工程で使うエネルギーといえば加工するとき・乾燥するときくらいでが限りなく少ない。
木は育っているときに光合成をして、CO2(二酸化炭素)を吸収し、私たちに不可欠なO2(酸素)を作ってくれます。
木を家づくりに使うことにによって、育った木は伐採でき、森も整備でき、また新しい木を植えてることができるのです。
当然、家を建てる側としては、木の乾燥であったり、ひび割れなどを含め、木の構造躯体としての性能を追求し、いいものを入れてもらうことをしなければいけないのですが。
それだけでなく、もっと木の本質をお施主さんや一般の方に知ってもらうことも大切ではないかなと思います。
節の無い木はどうやって造っているのか。
木の節の大小、木の目の色、表面のひび割れなど、山で育った木の話
木をプリント合板や集成材と同じ感覚で話をしてしまうと、無垢板の長所は見え隠れしてしまいます。
これは私たち造り手も見失いがちかなと思うのです。
私たち建築士、工務店サイドからできることとして、
たとえば、山の人が自ら、「60年地道に木を育て、木は自然のものなんだから、木の多少の動きや節はあんまり気にならない、
乾燥もかなりの時間と手間をかけてるけど、それでもひび割れはでてしまう」
なんて話してしまうと、なんとなく言い訳がましく聞こえちゃいます。
私が、「お施主さん家族に寄り添いながら設計してます」と話すのと同じで・・・
山の人の仕事をそのまま、見てもらったり、話を通じて伝えるのが建築士とか工務店さんの役目じゃないかなとも思います。
木を真面目に見てもらうだけだと、社会見学になって疲れてしまうので、リラックスしながら熊野の地を観光できればなと思ってます。
たまたま、その日が虫おくり祭りがあるのです。
昔農薬がなく、なすすべがなかったころに地域の子供たちがお寺からお札をもらって、たいまつと太鼓を手に火と音で害虫を追い払ったんです。
それを少し再現し、一粒でも多くのお米を収穫したいという素朴な祈りが込められたいイベントなんです。
ほんとラッキーです。
あと、熊野古道も歩くし。
楽しみです。